そういえばハーブの歴史ってどんなんだろう?
ヨーロッパとか地中海沿岸って聞くけど、日本に渡って来る前はどうなっていたんだろう?
とハーブの歴史について気になっているそこのあなたに、今回は
「ハーブの歴史」についてお話しします。
ハーブは地中海に限ったものではありません。
世界各国でそれぞれの土地に合ったハーブの歴史があります。
- イギリスではエルダーフラワー
- ブラジルではマテ
- 南アフリカではルイボス
- タイではレモングラス
ハーブティーを飲んだことがある方なら一度はハーブの名前を耳にしているかもしれませんね。
これら4ヵ国のハーブについてお話する前にハーブ全体のお話をします。
紀元前~現代まで順番に見ていきましょう。
ハーブの歴史
ハーブの歴史は遠い昔から現代まで続いています。
しかし、ハーブは植物。
体にいい影響を与えるものもあれば危険性のあるものもありました。
先人たちのおかげで今の人々のライフスタイルに合わせたハーブが存在しているのも事実です。
そこで、ハーブが歩んできた歴史を見てみたいと思います。
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紀元前
紀元前1700年頃、古代エジプト時代に書かれた「パピルス文書」には
- シナモン
- ナツメグ
- ミルラ
など約700種類の植物についての記録がありました。
これは、この当時から人々と植物は密接な関係にあったことを表しています。
日本はまだ縄文時代です。
この時代は成分を分析することも出来ないため現代のハーブの薬効ではなく、使う時に呪文を唱えたりすることで効能が現れると信じられていました。
インドで紀元前1000年前頃にまとめられた、伝統医療アーユルヴェーダの書物「リグ・ヴェーダ」にはインド特有の植物を中心に約1000種類の薬用植物について記載が残っています。
古代ギリシャ時代
古代ギリシャ時代には医療は呪術ではなく医学として考えられ始め、ハーブも治療薬の一つとして広まってきました。
紀元前400年頃、医学の父と呼ばれる「ヒポクラテス」が「体液病理説」を唱えて「ヒポクラテス全集」に約400種類のハーブの薬効や処方を記録。
ヒポクラテスは迷信に頼らず科学的な根拠に基づいた医学を確立したので今後のハーブにさらなる発展・進化をもたらします。
体液病理説とは?
人の体内に流れる体液の血液、胆汁、粘液などのバランスが崩れたときに病気になるという考え。
これは、国によって言い表し方は違いますが体のバランスや回復を重要視する点で中国の伝統医学、インドのアーユルヴェーダにも共通しています。
ヒポクラテスの知的後継者と言われるアリストテレスの弟子「テオフラストス」。
彼は「植物学の父」と言われ、植物誌(Historia Plantarum)には約500種類の植物の記録を残しています。
また、紀元前1世紀ごろのプトレマイオス王朝の女王「クレオパトラ」が毎日バラの香水風呂に入り、ダマスクローズ(ロサ・ダマスケナ)の花びらからとった香料を肌に塗っていたという話は有名です。
古代ローマ時代
1世紀初頭の古代ローマ時代。
ローマ皇帝ネロの軍医だった「ディオスコリデス」が「マテリア・メディカ(薬物誌)」の中で約600種類の植物をまとめています。
そして、この薬物誌は16世紀まで薬学のバイブル本として活用されていました。
この頃、中国は漢の時代。
ここでも「神農本草経(しんのうほんぞうきょう)」という薬物書がまとめられていました。
この時代は世界的に植物療法への関心が高まった時代とも言えます。
その後、77年に博物学者「プリニウス」が全37巻からなる自然誌の「博物誌」を書き、180年ごろにはローマの医師「ガレノス」が500種類以上のハーブを利用して水薬などを処方しています。
先人たちの研究により薬効が明らかになって記録として蓄積されて行っているのが分かりますね。
中世
ペルシャでは医師の「アヴィケンナ(イブン・シーナ)」を始めとして医学の中心がイスラム社会に移行した10世紀。
錬金術の技術をベースに植物から精油を抽出する蒸留方法が確立されました。
アヴィケンナたちは、この蒸留方法によって得られる香りの付いた芳香蒸留水を治療に活用します。
これが現代のアロマテラピーの元祖ですね。
そして、アヴィケンナは1020年頃にギリシャ・ローマ・アラビアの医学をまとめた医学書「医学典範(カノン)」を書き残しました。
日本は平安時代ごろですね。
大航海時代
15~17世紀の大航海時代に入ると、ヨーロッパの人々が東洋、新大陸を行き来する中で、多くのハーブや長期日持ちのするように加工したスパイスがヨーロッパに持ち込まれることになります。
その持ち込まれたハーブやスパイス(香辛料)を活かして、植物療法の分野の研究がさらに進められました。
そして活版印刷技術の発明が、植物療法の発展に大きく貢献することになるのです。
著名な植物療法の専門家(ハーバリスト)「ウィリアム・ターナー」「ジョン・ジェラード」「ジョンパーキンソン」「ニコラス・カルペッパー」などが活躍したのも17世紀頃です
パイレーツ・オブ・カリビアンの「ウィリアム・ターナー」を思い出してしまいました(笑)
この時代には「専門家」がいたわけですね。
19世紀から20世紀
ハーブの研究は進化し、19世紀に入ると植物の中から有効成分を分離することが可能に。
麻酔薬のコカイン、鎮痛剤のアスピリンなどの医薬品が開発されるようになります。
19世紀後半には、コレラ菌の発見や結核菌を培養・殺菌・濾過(ろか)した液のツベルクリンの発明をしたコッホ、狂犬病ワクチンを発明したパスツールなどの細菌学者が活躍。
特定の病気は特定の病原菌によってもたらされるという「特定病因論」が世の中に定着します。
細菌学者の活躍により、即効性が得られるだけでなく、病原菌を殺す抗生物質が開発されたため、医薬品や近代医学が急速に発展。
その反面、植物療法は徐々に衰退していきます。
現代
そして現代。
技術が進歩し、医薬品の質もどんどん良くなっていきます。
しかし、その一方で医薬品や医療に対する考え方に変化が起き始めました。
というのも、医薬品による薬害や副作用といった懸念もありますが、薬を使ってきたことで病気の性質も変化してきたんです。
昔は、伝染病、感染病、などの細菌やウイルス感染が多かったのに対し、現代は生活習慣病や心身症といった病名の無い不調を訴える人が増加。
ストレスなどの病気になる原因を予防する方が大切。
という考えが出てきたのです。
そして、現代病の増加によりハーブなどの代替療法が再び注目されることに。
現代では近代医学と代替療法のいい点をとり入れた「統合医療」が広まってきています。
だんだんとハーブが再注目され始めていますので、ハーブの良さが多くの人に知られるようになれば、統合医療は更に普及しそうですね。
各国の歴史あるハーブたち
▼動画で解説をご覧になりたい方はこちらからどうぞ。
ここからは、
- イギリス(ヨーロッパ全域)
- ブラジル
- 南アフリカ
- タイ
それぞれで歴史があり、現在も飲み方の作法などが受け継がれ、親しまれているハーブについてお話していきますね。
イギリス・ヨーロッパ全域のエルダーフラワー
イギリスやドイツ、オーストリアなどヨーロッパ全域では「エルダーフラワー」が親しまれています。
グリム童話やアンデルセン童話にも登場するエルダーフラワー。
それはエルダーの木がヨーロッパ全域に分布しているということも理由の一つです。
エルダーフラワーは、花・葉・果実・樹皮のすべてが役に立つ有用植物でもあります。
その効能の多さから「万能薬」とも呼ばれ、さらには魔除けのハーブとしても家の入口や庭などに植えられることもありました。
6月にはエルダーフラワーのマスカットのような香りが街中に漂います。
イギリスでは夏の風物詩にエルダーフラワーのコーディアル作りがあるほど。
コーディアルとは?
ハーブ&フルーツドリンク。
身体を活気づけ、刺激する効果(滋養強壮作用)のある食品、主にアルコール飲料のことを指します。
心臓に良いとされた様々な飲み物を混ぜ合わせたものが、古くは医薬品として使用されたことに由来。
(cordialは「心からの」という意味の形容詞である)。
現代では、摘み立てのハーブやフレッシュフルーツを使ったノンアルコール飲料。
イギリス人にとっては、懐かしい家庭の味として長年受け継がれているようです。
ブラジルのマテ
ブラジルでは「マテ」が親しまれています。
「マテ茶」というお茶ですね。
昔は薬の代わりとして利用されていましたが、食物繊維などの栄養が豊富な「飲むサラダ」とも呼ばれるマテ茶は、肉中心の食生活を送る人々の貴重な栄養補給源として日々の生活に欠かせない健康茶になりました。
野生の牛を追って生活するカウボーイ「ガウショ」が愛飲していたのもマテ茶。
瓢箪のカップに茶葉を入れ、お湯または水を注ぎ、金属製の専用ストロー(ボンバ)を使う飲み方は、現在に受け継がれている作法です。
アルゼンチンなどでは1組の茶器を使って回し飲みをする習慣があるほど。
そんなマテが多く収穫できるブラジルでは、製茶工場もあります。
乾燥の工程が重要とされていて、約500℃の高温で素早く加熱、水分を飛ばして酵素の働きを止めます。
2回目の乾燥もあり、そこでは低温でじっくり乾燥させます。
その後、1年ほど寝かせて香りや風味を熟成させたら完成です。
昔から現代風に形を変えて受け継がれているんですね。
南アフリカのルイボス
南アフリカはケープタウン。
そこから北に250km行ったところにセダーバーグ山脈の高原地帯があります。
ここにだけ生息するのが健康茶としても飲まれているルイボス。
元々はこの地域の先住民「ブッシュマン(コイサン族)」たちが「不老長寿の飲み物」として愛飲していたことから始まります。
リラックスや気分転換したいとき、風邪や消化不良などの不調の際に飲まれていました。
セダーバーグ山脈一帯は、古代の海底が隆起して出来たと言われています。
地下には亜鉛やセレンなどの鉱脈が走っています。
カルシウムやビタミンCが豊富と言われるルイボスはそこへ向かって10m近く根ざし、ミネラル分を吸収。
強酸性の土、日中の紫外線、夜の極寒に耐えながら生長しています。
ルイボスは、細かくカット後、水をかけて24時間発酵。
押し固めて、乾いたら崩し、再び発酵。
葉の色がだんだん緑から赤へと変わります。
かなり過酷な環境の中育つルイボスは、その生育環境もあって「伝説の健康茶」とも呼ばれています。
タイのレモングラス
インドシナ半島の中央に位置するタイ。
この国は健康管理、病気の予防に食事を役立てる「医食同源」が根付く国です。
そんなタイで、
生産量が1位!
消費量も1位!
のレモングラス。
それだけ生活に欠かせないハーブということですね。
レモングラスの葉は殺菌剤として優れ、保存食のカビ防止剤としても使えます。
トムヤムクンなどのスープに入れるのも殺菌効果を期待してなのだとか。
レモングラス以外にも、唐辛子、コリアンダー、ミントなどが多く、食事には常にハーブが並ぶような環境が整っていて独自の植物療法を築いています。
タイのチェンマイ郊外の畑では毎年植え付けて、8カ月ほど育てたら根元から収穫、市場に出荷されます。
近年始まった、村民が直接利益を得られるように支援する国の農業支援プロジェクト「ロイヤルプロジェクト」の中にレモングラスも含まれているためさらに栽培されることが多くなりました。
まとめ
いかがでしたか。
今回は「ハーブの歴史」について
- 紀元前
- 古代ギリシャ時代
- 古代ローマ時代
- 中世
- 大航海時代
- 19世紀から20世紀
- 現代
- そして、各国の歴史あるハーブたち
これらを順番に見てきました。
日本がまだ縄文時代だったころから世界ではハーブが広まりつつありました。
紀元前400年頃、医学の父と呼ばれる「ヒポクラテス」の「ヒポクラテス全集」がハーブの発展や進化に大きな影響を与えたのは確かでしょう。
その後、国は違えど中国などでも違う名称で薬効のある植物として扱われ、国同士の貿易が始まるとそれらの知識は共有され、さらにハーブは発展してきました。
そして、広まるかと思いきや近代医療の発展で植物療法は一旦隠れてしまいます。
しかし、医療の発展に伴い、病気も形を変えてきたことで人も考え方を変え始めます。
即効性のある薬も大事ですが、その原因となるストレスなどを改善しようということで再度ハーブの植物療法が日の目を浴びてきました。
生活の中に溶け込み、人間の回復力を底上げしてくれるハーブ。
そんなハーブの歴史もぜひ覚えておいてくださいね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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